「イミテーション・ゲーム」を100倍面白く観られる本「暗号解読(上)」

 映画「イミテーション・ゲーム」が好きだ.本作では,コンピュータの父として有名な稀代の数学者アラン・チューリングが,第二次世界大戦時にドイツの暗号エニグマを解読するに至った過程を描いている.チューリングの独特な人当たりに笑い,暗号解読に努める姿に夢中になれる良作である.2015年に日本で公開され,映画館で本作を観た自分は当時大学4年生だった.その後諸事情あって科学に興味をもち始め,科学を題材にした本をいくばくか読むようになった.「イミテーション・ゲーム」を観てから5年,本書で紹介する「暗号解読」を手にする.今日,上巻を読み終えた.いやはや,なぜあの時までに読んでいなかったんだろう!と言うくらい,暗号の面白さが存分に詰まった一冊だった.「イミテーション・ゲーム」を観た方々の中には,私のように「そもそもエニグマってどんな暗号なんだっけ?」と疑問を持った人もいると思う(いてくれないと自分が無学に感じるのでいてください).本書は,古代ローマでの暗号の起こりからエニグマの発明,その解読までをダイナミックにつなぐ一冊となっている.

暗号の面白さ

 人類の歴史の中で,暗号の何が面白いかといえば,暗号は解読する方法だけでなく,暗号をつくる方法も発展してきたことである.当たり前だが,解読すべき暗号があれば,それは誰かによって作られたものなのだ.暗号が破られるたび,暗号作成者はより解読の難しい暗号になるよう,工夫を凝らしていく.本書を読むと,暗号はひとえに,争いにともなって発達しているのだとわかる.敵を出し抜いて優位に立てるように,そのために作戦を知られないよう,暗号で文書が取り交わされていく.エニグマが開発されたドイツは,一度,第一次世界大戦時に,暗号化された外交文書をイギリスに解読され,アメリカの大戦参戦を妨害し自国が先制する作戦をふいにされたのである.この苦い経験から,ドイツ政府はより複雑で解読の難しい暗号作成方法を手にする必要があった.このため,ドイツ政府は新たに発明されたエニグマを積極的に利用することにしたのである.

 エニグマは複雑な換字システムである.換字とは,アルファベットの個々の文字を別のアルファベットに置き換える方法を指す.例えば,ABCDE...をCDEFG...に置き換えて文章を作成する.この例だと,単純にアルファベットが後ろに2つずれていることが予想されるが,エニグマでは,このような規則性のないランダムな換字変換が3度行われる.それぞれの換字変換はスクランブラーという円盤に記述されており,3枚のスクランブラーの順番は変えることができる.エニグマにはスクランブラーの他にもう一つ,プラグボードとよばれる換字機構が組み込まれている.このプラグボードは,スクランブラーと連結しており,スクランブラーによる換字を経由する前に,特定の文字を別の文字に変換する.エニグマが利用されていた当初,プラグボードは6つの文字をそれぞれ別の文字に変換させるようにできていた.よって,アルファベット26文字から6組のペアを選んでつなぐ場合の数100,391,791,500通りと,スクランブラーによる換字方法26×26×26×3!をかけ合わせて,エニグマによる換字方法の総数はおよそ1京になる.解読は困難を極める.

エニグマ解読者はチューリングの他にもう一人

 エニグマの解読といえばチューリングの名前が真っ先にに挙がるが,実はチューリングがイギリスでエニグマを解読する前に,ポーランドでは既にエニグマが解読されていた.この偉業を成し遂げたのが,マリヤン・レイェフスキである.レイェフスキは,エニグマによって生成された暗号文から,各スクランブラーの変換規則,3枚のスクランブラーの配置を明らかにして,暗号を解読する方法を見つけ出した.プラグボードによる換字が抜けていて不十分に思われるかもしれないが,これは上記の2つを明らかにし,暗号から元の文章をある程度再現すると,意味が通る単語を想像して見当をつけることが可能なのである.例えば,元の文章を再現した文字列で at miznight となっていたら d が z になっていると予想できる.よってスクランブラーによる換字がわかれば,暗号文のほとんどが理解できる.では,レイェフスキはどうやってスクランブラーによる換字を見抜いたのだろうか?当時のドイツ軍は各スクランブラーの変換規則・3枚のスクランブラーの配置・プラグボードによる換字の設定を一日ごとに変えていた.この設定は”日鍵”と呼ばれる*1.さらに,一日同じ設定で文書を作成し続けると,暗号解読が容易になることを恐れて,文書の先頭に,適当な3文字を2回繰り返した6文字を日鍵の設定で暗号化し,今度はその3文字に合わせて各スクランブラーによる換字方法を変更するのである.ここでいう各スクランブラーによる換字方法というのは,スクランブラーがアルファベットを並べた円盤であり,先頭位置をどの文字に合わせるかに依存する.3文字のアルファベット文字列は文書ごとに変更されるので,”メッセージ鍵”と呼ばれる.レイェフスキはメッセージ鍵を暗号化したたったの6文字から日鍵を明らかにし,まるで小さな亀裂が建物を瓦解させるかのように,暗号文書全体を解読していく.具体的な方法は本書で説明されている.1京を超える方法で暗号化された文書を解読するためにレイェフスキがとったアプローチは,説明を受けると,発想が可能であることに驚く.

レイェフスキを超えるチューリング

 レイェフスキが解読できたエニグマは,メッセージ鍵である3文字を文頭に2回繰り返すという特徴がある.しかし,ドイツがこの反復メッセージを問題視し,メッセージ鍵の伝達方法を変える可能性がある.チューリングは,メッセージ鍵の伝達方法に頼らないエニグマ解読方法を編み出した.詳細はこちらも割愛するが,複雑な問題をワンアイディアで解決するチューリングの天才性がよく現れていることが分かる.

最後に

 本書「暗号解読」を頭から読むと,カエサル暗号のような単純な換字式暗号から始まり,その発達の結果としてエニグマが発明されることに,暗号発展の凄みを感じることになる.さらに,本記事ではほぼ割愛したが,その暗号解読方法がいかに聡明なアプローチか感嘆することにもなる.「イミテーション・ゲーム」はアラン・チューリングに焦点をあてたドラマとなっているが,「暗号解読」は,レイェフスキのようにチューリングほど知られていないものの,多数の賢者の生涯が暗号の発展に関わっていること,また,チューリングの生涯もその一部分であることを教えてくれる.

*1:「イミテーション・ゲーム」の中でも「日付が変わって,暗号がまた変わる!」と嘆いているシーンがあったように覚えている.